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立川談春の原作ドラマ「赤めだか」のキャスト

立川談春原作のドラマ「赤めだか」のキャストについて調べてみました。





・立川談春・・・二宮和也

・立川談志・・・ビートたけし

・立川志らく・・・濱田岳

・立川関西・・・宮川大輔

・女将の娘・・・清野菜名

・立川談かん・・・柄本時生

・立川ダンボール・・・新井浩文

・寿司屋の大将・・・さだまさし

・魚問屋の店主・・・柳家喬太郎

・春風亭昇太・・・春風亭昇太

・春風亭小朝・・・春風亭小朝

・中村勘九郎・・・中村勘九郎

・三遊亭円楽・・・三遊亭円楽

・魚河岸の女将・・・坂井真紀

・志らくの祖母・・・正司歌江

・談春の父・・・寺島進

・談春の母・・・岸本加世子

・高田文夫・・・ラサール石井

・立川談々・・・北村有起哉

・立川志の輔・・・香川照之

・林修一・・・リリー・フランキー

・ナレーション・・・薬師丸ひろ子

・ナビゲーター・・・笑福亭鶴瓶






立川談春原作のドラマ「赤めだか」を観ました。


本当に面白かったので、2回観てしまいました。


キャストも良かったです。


ビートたけしの談志も良かったですし、寺島進の談春のお父さん役、岸本加世子の談春のお母さん役も良かったです。


宮川大輔は今まであまり好きではなかったですが、このドラマを観て好きになってしまいました。


その中で、志らく役の濱田岳が自分の中で最高でした。


元々演技は上手いと思っていましたが、このドラマもすごかったです。


特に落語の演技は素晴らしく、本当に落語家になれるのではないかと思いました。


最近観たドラマの中で、自分の中で最高のドラマでした。












立川談春と立川志らくの関係は?

立川談春と立川志らくの関係について調べてみました。








立川談春は、17歳のときに高校を中退して談志に弟子入りしました。


志らくよりも1年半早い弟子入りです。







この頃、「魚河岸で働いて、礼儀作法からみっちり身につけて来い!」という談志の考えで、弟子はみな築地市場で働かされていました。


談春も1年間、築地で働いています。


志らくも入門時に談志から築地行きを命じられました。


しかし、志らくはこれを断りました。


普通は激怒されるはずですが、志らくの場合はそこがまた気に入られてしまい、談志はうれしそうにこう言って、談春を嫉妬させました。


「河岸へ行って修業してこいって云ったら、野郎、嫌ですって云いやがンだ。 じゃあクビだって云ったら、クビも嫌ですとよ。両方嫌じゃしょうがねェよナ。それじゃウチに入るかと聞いたら、はいって涼しい顔してやがる。変なヤツだぞ」


築地で働いている最中だった談春が兄弟子として注意しても「私は、自分のしたくないことは、絶対にしたくないんです。師匠は分かってくれています」と志らくは答えました。







その後のある日、談志は談春の胸中を見透かして、「お前に嫉妬とは何か教えてやる」と言って、次のように話しました。


「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、

自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。

一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。

本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。

しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。

芸人なんぞそういう輩のかたまりみたいなもんだ。

だがそんなことで状況は何も変わらない

嫉妬に陥ると、つい相手の実力にケチをつけたくなるものだ。

しかし、相手の評判を貶めたところで空しいだけ。

本当に悔しければ、とるべき行動は別にあるはずだ」







談志にそう指摘された談春は、それ以来、志らくと出来るだけつるむようになりました。


そして、志らくの古典落語への愛情、覚えの早さにビックリするのでした。


結局、志らくは談春よりも早く真打ちへと昇格。


談春は自ら名乗り出て、志らくの真打ち昇格パーティの司会を務めました。





その後、談春も志らくより2年遅れて真打ちに昇進しました。













立川談春は結婚しているのか?

立川談春は結婚しているか調べてみました。




あまり情報がないのですが、結婚はされているようです。


交流のある落語家の柳谷一琴 さんのブログで、立川談春さんは「奥さんが大好きだ」と書いてあったり、以前、立川談春さんがインタビューで「俺とカミさんの二人暮らし」と語っていたということもあり結婚はされているようです。


奥さんの元に転がり込んでそれで結婚したという話もあるので、下積み時代を奥さんが支えたのではないでしょうか。







子供ついては既に家を離れてしまったのか、それとも作らなかったのか、出来なかったのか?分かりません。


談春が「俺とカミさんの二人暮らし」と語っていたように、お子さんはいないと思われます。


プライベートの情報が非常に少ない談春ですが、これからは談春についての情報が多くなりそうです。







それは、2011年に師匠の立川談志が亡くなってから、談春はそれまでと一転し、さまざまなメディアへの登場機会を増やしたからです。


落語関係者は次のように話しています。「一番の理由としては、談志師匠が亡くなったことで、落語界から大きな広告塔が失われたと感じたようです。弟子である談春さんは、談志さんの遺志を継承し、広く一般に落語を認知させるために、できる限りメディアに出ることを決めたそうです」


それ以降、ドラマにも出演し、バラエティ番組でMCをするなど、本業以外の活動を活発に行ってきました。


テレビ局関係者は次のように話しています。「ただ、ドラマのオファーもかなり来てるのですが『落語家の自分を大事にしたい。ドラマに出続けると、落語の世界とブレが生じてしまう』と断っているようです。でも、『よほど面白い作品なら出たい』とも言っているので、どの局が彼を口説き落とすかが注目されていますね。名前の割にギャラも1話30~50万程度なので、局としても費用対効果が高いんです」


談志がなくなってから積極的にメディアに登場するようになった談春。


これからは、立川談春の情報も色々と分かってくるだろうと思います。











立川談春は築地で働いていた?

立川談春は築地で働いていたかどうか調べてみました。






これは立川談春が書いた「赤めだか」と言う本を読めば分かります。


12月28日には、TBSでドラマも放送されました。


談春役は嵐の二宮和也、談志役はビートたけしです。









立川談春が立川流に入門し半年が経った頃、立川談志が稽古を付けてやると言いました。


談春は風邪を引いていて、師匠にうつすのも悪いので断ってしまいます。


談志は談春に目をかけていたので、それを風邪くらいで断るという事でかなりショックを受けたようです。


談志は怒り、談春の母親に電話をして、「お前の息子に稽古をつけてやると言ったら風邪気味で断られた。こんな事は初めてだ」と言いました。


そして家元の稽古を風邪気味で断った弟子として有名となってしまいます。


談志は怒り、しばらく談春を無視します。


そして弟子を続けたければ築地で1年間働いてこいと言いつけます。


しかし、実はこれは、談春がゆくゆく何故築地で修行なのかが解るのです。


若くして弟子となった談春は、社会経験があまりにも乏しく人への気遣いや思いやりに欠ける事を思い、談志は築地に行かせるのです。


1年後の築地最後の日に築地の女将さんがお金を談春に渡します。


師匠から談春に全部お金を渡すと使ってしまうから少し引いてそれを貯めておいてくれと言われたそうです。


談志は普段は口うるさい師匠ですが、本当は弟子思いの優しい人間であることが分かる話です。





そういうことで、立川談春は若いころ築地で1年間働いていました













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